2011年9月2日金曜日

ヨーロッパ滞在50年周年記念日とバッハのコンチェルト

1961年8月16日は、生まれて初めてヨーロッパに足を下ろした日である。
8月15日に当時は羽田空港から出発。Air France に乗って、アンカレッジ経由でパリに着いた。
空港には芸高の友達の細野隆興さんが迎えに来てくださった。そのまま、芸高で社会科とフランス語を少し手ほどきしていただいた、吉沢裕子先生をお尋ねした。自作の帽子をかぶり、紺のタイトのワンピースを着ていた私に早速辛口のコメント。日本的ねということで、近くの市場に連れて行かれ履きやすいズック靴を買った。先生はフランス人と結婚されて可愛いPhilippと3人でむつまじく暮らしていられた。早速同じ建物の上に住んでいられるおばあちゃまの所へ連れて行かれ、オルガンを弾かされたように思う。調律が必要といってねと頼まれた。次の日の朝は一人で早く起きてタクシーでオルリー飛行場へ。ギターを弾いているのに聴き惚れていて、気がついたときはミュンヘン行きの飛行機に乗り遅れ、チューリッヒ経由でミュンヘンに着く。当時は携帯というものはなかったので、連絡も出来ず、誰も飛行場にはいなかった。まずは地図を買ってと落ち着いて、さて市内に出ようかと立ち上がると、お世話になるお宅の御主人であり、上智大学でドイツ精神文化史の教鞭をとっていられたゴスマン氏の姿が見えた。私はドイツに行きたい一心で、大学の和声の講義をサボって氏の講義を聴講していたのだった。みんなで手分けして、私の現れそうな場所に待機しているとの事。やれやれ、これが50年前の私だった。一寸ばかり出来たドイツ語を使って怖いもの知らずだった。

8月16日はそんなわけでパリに行こうと思っていたら、その日にユーロクラシックのコンサートでバッハのコンチェルトを弾く福間コウタロウ君が、私がその日に何を仕様と勝手だけど、其のころパリにはヴァカンスで知っている人は誰もいませんよ、との事でベルリンで彼の大ホール出場を聴くことになってしまった。
......... この8月16日にまたヤングユーロクラシックで弾くことになり、今度はコンツェルトハウス大ホールでバッハコンチェルトを弾くのですが、パリにいらっしゃるなら聴いていただけないですね。残念ですが、マスミンの記念日にはご自分の納得行くプランをたてて、達成されるべきだと思います。レイニーさんは、毎年8月前半オーストリアにヴァカンスに行ってらっしゃるので、いらっしゃらないかもしれません。アランさんはご存じの通り、世界中に家族がいるので・・・というのがオリジナルメッセージである。

その後彼はバイロイト、ミュンヘン、アンヌシーと10日間ベルリンを留守にする。まあね。みん何処かに行ってしまったベルリンは、ひがな一日を充実して過ごしましたが、、、
バッハのコンチェルトは、一緒に行ったSami君がとてもフランス的だとのコメント。彼はお母さんがフランス人、お父さんがデンマーク人でドイツ語はぺらぺら。自分の聴いたCDはペライヤで,
なんかこうきっちりしていたけどとの事、面白い発見だと思った。アンコールのシューマン・リストの献呈は彼には合っていたように思えた。