2014年2月26日水曜日

ヴァイオリニストに憧れていた作家森瑤子

夕べ、夜中に目が覚めてしまったが、まだいくら早起きの人でも躊躇する3時半、枕元にある本を
手にとってみた。
His Pasta, Her Pastaという、森瑤子と亀海昌次の往復エッセイ集である。

お互いに23歳の時に婚約して、一年足らずで別れたという二人は、それから30年たって友情が育っていた。
その書簡集が交代に書かれている。「おいしいパスタ」という題がついている。

開いたところは森瑤子が自力で買ったヨロン島にがじゅまるの木が2本植えられた話だ。
散歩のとき見かけた木をほめたら、気のいい島の住民が早速根っこからほり起こして庭に植えてくれたという話。なかなか根がつかず段々枯れていってしまうので島でな大事な水をやったり、回復を見守っているというくだりで終わっている文庫本3ページのエッセイだった。

なぜこんな話に私がこだわって夜が明ける迄、思い巡らしたかったかというと、この小説家の本名はぜんぜん違って、このペンネームは彼女がヴァイオリンの学生だった芸大時代、同じ楽器を弾きこなし、おまけに美人でみなからの賛辞を常に受けていた同級生の名前をほとんどそっくり使っているということだ。一字違うのは相手より木を一本増やして「森」としたところ。

彼女はヴァイオリンに見切りをつけ小説を書くようになって、いつの頃かそれが売れだし、自分の希望だった島まで買えて優雅に生活できていた。しかし原稿用紙を一枡ずつ埋めていき、常に締め切りの日に脅かされる生活は、彼女に胃がんという病名を送り若くして命を奪った。

私が芸大のころ、この彼女の憧れていたヴァイオリニストと何回か小さい催し物で演奏をしたことがあった。
ある時演奏を終わってタクシーを待っていると、聴衆の一人だった小柄だが、感じのいいシックなドイツ人が車でさっと寄ってきて駅まで送ってくれるといった。めいめいの連絡先を交換しあった、、、


それから何週間かたって彼女に会ったとき、「実はね、あのドイツ人からお誘い受けて時々映画を見たり、コンサートに行ったりしたの。新井さんはなぜ誘わないのと聞いたら、あの人はドイツ語が出来るからだめです、と言った」とのこと。そしていつの間にかあたしの洋服の色が茶系統になっていたわと言った。私のほうはドイツに行きたくて奨学金を受けるためにドイツ語を夢中になって身に付けようとしていたときだったので、特別やきもちの感覚も起こらずその時は過ぎた。

でも一事が万事、チャーミングなその彼女の周りは男性ファンが常にたくさんいた、、、今で言うファンクラブと言うのだろうか?私はそのとき初めて世の中の仕組みを垣間見たと感じ始めていた。
その感じが人生の4分の3世紀も生きたこの頃、やっとなくなってきているのに最近気がついた。

森瑤子は小説を書いて成功して名声と富を得たのだが、常に心の中には本当は音楽で
成功したかったのよとつぶやいていたのだろうか??
彼女のイグナチオ教会の告別式にはその美人のヴァイオリニストが演奏したと言う記事を読んだ。

夜中におもいがけず、昔々のことを思いだし眠れなくなった。私はその頃から何度も挫折しそうになりながら、ドイツに初めて来たときから53年目を迎えようとしている。そして苦しくても音楽をやめないでつずけていてよかったなあとしみじみ思う今日この頃、、、音楽によってのみ人は至福の時を
与えられることが出来るからだ。