今年も後2カ月で終わる。
何か世の中が騒がしく、自然現象が大暴れして人間の力の無さを見せつけられているようだ。
何を目標にしてこの先生きていくのか、自分だけ幸せな気分になるように探していいものか?
2014年11月29日土曜日
ピアノあれこれ
ピアニストは自分の楽器を持って歩くことができず、コンサートではたいていそこにあるピアノで演奏しなくてはならない。
コンサートのホールを選ぶ時に何のピアノが置いてあるかを調べて、納得するか妥協するかになる。
ヴァイオリンでいえばストラディヴァリにあたるスタインウェイ、またはベーゼンドルファーは演奏者の好みによって選ぶことができるが、私個人について言えばタッチと出てくる音の微妙なタイミングがスタインウェイのほうが好きなので、その中でもで特に弾きやすいピアノのあたった時は嬉しいし、指先からしっとりとキイの中に深くはいっていく感触、又が色々な方向に指先を向けて、ほしい音の音色を探す時
の醍醐味は人生を左右するほどの幸せ感がある。
メンテナンスの良いコンサートグランドに触れたとき、その日の演奏はなぜかいつもより一段と深みを増してくるような気がする。
幻のピアニスト レオ シロタ
この名前を私は50年以上もの間、私の恩師故永井進の芸大時代の先生ということで知っていた。
でもその演奏は今と違ってCDはもとより、レコードもその頃は市販されていないので唯名前として知っていただけだ。
ある時このピアニストについての本を友人から借りた。
戦前の日本のピアノ教育に携わって、芸大に在籍のピアノ学生を教えたことなどが書かれてあり、学生と一緒に写った写真の中に詰襟の制服姿の永井先生が見えた。
つい数年前、ベルリン日独センターから案内が届いた。それは「ベアーテの贈り物」という、終戦後に日本憲法が改正された時、女性の権利を向上させる数箇条を新しい憲法に入れることに尽力したベアーテ ゴードン シロタについての映画を観賞するというもので同僚を誘って行った。
その映画のバック音楽が何とシロタが弾くピアノ曲で構成されていたのだった。
ちなみにベアーテはシロタの娘さんであった。
彼女は父親のレコードが野村湖堂の記念館に収集されているのを知っていた、、、
シロタは当時ストラヴィンスキー作曲、ぺトルーシュカのピアノバージョンの初演をしたピアニストである。
ベアーテはその映画の中でこう語っている。
始めはルービンシュタインが初演を依頼されたが、難しいこの曲を練習する気がないということでシロタに託されたとのこと。そんなエピソードも合わせて、当時のキエフから日本を通ってアメリカに亡命する途中で日本に17年滞在したということも分かった。
その時は断片的に、ベートーヴェンのソナタ、ショパンのマズルカ、そしてストラヴィンスキーのぺとルーシュカが記憶に残った。
つい何か月前に又大使館の催し物の案内にこの映画があったので、私はためらわず申し込んだのだ。映画のほかに日本の女性の権利がどんなふうに改善発展したか、又外国、アジア諸国ではどんなふうかのディスカッションがあった。
それは勿論大変大事なことだが、そこで弾かれるマズルカは何とも言いようもない、リズムというか
どこも縦の線が引かれないメロディーの流れの美しさだった。
永井進は日本で初めてショパンのマズルカを全曲演奏したピアニストである。
シロタの生徒であった永井先生に私は中学から芸大卒業まで9年間教えを受けた。
最近私は何をシロタの孫弟子として受け継いだか考えてみた。すぐには答えが出てこなかったが、ワルシャワに何度も教えを受けに行った、戦場のピアニストで名前を知られているオレイニチャックからマズルカも何曲か教えを受けた。
ベルリン芸大で、クラス全員にマズルカを弾いてもらったこともある。マズルカは好きなのだ。
それやこれやでショパンを弾く時、マズルカがいいと聴いた方が言ってくださるとき、ああ私のシロタへのルーツはここにあったのだと今やっと気がついたのである。
でもその演奏は今と違ってCDはもとより、レコードもその頃は市販されていないので唯名前として知っていただけだ。
ある時このピアニストについての本を友人から借りた。
戦前の日本のピアノ教育に携わって、芸大に在籍のピアノ学生を教えたことなどが書かれてあり、学生と一緒に写った写真の中に詰襟の制服姿の永井先生が見えた。
つい数年前、ベルリン日独センターから案内が届いた。それは「ベアーテの贈り物」という、終戦後に日本憲法が改正された時、女性の権利を向上させる数箇条を新しい憲法に入れることに尽力したベアーテ ゴードン シロタについての映画を観賞するというもので同僚を誘って行った。
その映画のバック音楽が何とシロタが弾くピアノ曲で構成されていたのだった。
ちなみにベアーテはシロタの娘さんであった。
彼女は父親のレコードが野村湖堂の記念館に収集されているのを知っていた、、、
シロタは当時ストラヴィンスキー作曲、ぺトルーシュカのピアノバージョンの初演をしたピアニストである。
ベアーテはその映画の中でこう語っている。
始めはルービンシュタインが初演を依頼されたが、難しいこの曲を練習する気がないということでシロタに託されたとのこと。そんなエピソードも合わせて、当時のキエフから日本を通ってアメリカに亡命する途中で日本に17年滞在したということも分かった。
その時は断片的に、ベートーヴェンのソナタ、ショパンのマズルカ、そしてストラヴィンスキーのぺとルーシュカが記憶に残った。
つい何か月前に又大使館の催し物の案内にこの映画があったので、私はためらわず申し込んだのだ。映画のほかに日本の女性の権利がどんなふうに改善発展したか、又外国、アジア諸国ではどんなふうかのディスカッションがあった。
それは勿論大変大事なことだが、そこで弾かれるマズルカは何とも言いようもない、リズムというか
どこも縦の線が引かれないメロディーの流れの美しさだった。
永井進は日本で初めてショパンのマズルカを全曲演奏したピアニストである。
シロタの生徒であった永井先生に私は中学から芸大卒業まで9年間教えを受けた。
最近私は何をシロタの孫弟子として受け継いだか考えてみた。すぐには答えが出てこなかったが、ワルシャワに何度も教えを受けに行った、戦場のピアニストで名前を知られているオレイニチャックからマズルカも何曲か教えを受けた。
ベルリン芸大で、クラス全員にマズルカを弾いてもらったこともある。マズルカは好きなのだ。
それやこれやでショパンを弾く時、マズルカがいいと聴いた方が言ってくださるとき、ああ私のシロタへのルーツはここにあったのだと今やっと気がついたのである。
2014年11月28日金曜日
Brahms
このところBrahmsをプログラムに乗せることが多くて、シンフォニーの4番連弾版をコンサートで弾いたり、唯一の歌曲チクルスマゲローネを合わせ始める事など、素晴らしいなと思いつつ音楽に満たされる毎日だ。
ハンブルグに生まれ、ブラームス協会の会長でもあった、Detlef Kraus先生に3年もお習いしていたのに、余り沢山はブラームスの作品を手掛けていないことに最近気がついた。
シューマンやシューベルトは色々聴いたり弾いたりしてきたのに、これはどうしてかと考えると、何か難しくて入りにくかったということ、それとブラームスを全曲演奏をされていた先生のレッスンが他の作曲家のレッスンとは違って恐ろしく細かく、とても音楽を感じる自由が生まれなかったことだった。
でも今は純粋にブラームスっていいなと思う。なぜシンフォニーの4番を選んだかといえば、はるか以前にベルリンフィルとショルティの棒で聴いた4番が印象的であったこと。そして1楽章の何とも言えない美しい入り方がいつまでも心に沁みついていたからだと思う。
オーケストラバージョンをピアノで弾く時、一人では表現不可能といえるが、二人で手分けすれば何とか響き全体が一つに収まってくれるようだ。
別にオーケストラを再現しようなどとは思わないが、ピアノ音楽とは違った、彼の音楽の大きい表現力と美しさ、それをコンサートホールに行かなくても二人で再現できるという可能性に感激して、何度も素晴らしい瞬間が演奏中に訪れた。
マゲローネのほうは歌もそうだろうけれど、伴奏のピアノがちょっとぐらい弾ける人でもよっぽどさらわないと演奏会には出せないという難しさもあって、なかなか演奏会で聴くことができない。
そんな時ベルリンで10年ほど前に伴奏していたNikolayがMecklenburg Vorpommernのフェスティヴァルで歌うというのを聞きつけ、そのゲネプロと本番を聴くことができた。余りにも私が感激して心を奪われてしまったので、来年の秋にするコンサート、シューベルトの冬の旅をマゲローネにしようと彼に提案され、それこそ天にも昇る心地とはこのことだろう、すっかり舞い上がってしまった。
そこへ持ってきて、大学の同級生だった淡野弓子さんが歌っていたのを思い出し、この度まず半分だけあわせたところ、彼女も涙ぐむほど感激して、一緒にコンサートをしようと提案したのだ。
なんという幸せ、何という偶然、、そして本来は男性歌手が歌うこのチクルスを75歳でデビューしたメッゾソプラノ歌手が歌うというのだ!!
これは話題にならない訳がない。
ハンブルグに生まれ、ブラームス協会の会長でもあった、Detlef Kraus先生に3年もお習いしていたのに、余り沢山はブラームスの作品を手掛けていないことに最近気がついた。
シューマンやシューベルトは色々聴いたり弾いたりしてきたのに、これはどうしてかと考えると、何か難しくて入りにくかったということ、それとブラームスを全曲演奏をされていた先生のレッスンが他の作曲家のレッスンとは違って恐ろしく細かく、とても音楽を感じる自由が生まれなかったことだった。
でも今は純粋にブラームスっていいなと思う。なぜシンフォニーの4番を選んだかといえば、はるか以前にベルリンフィルとショルティの棒で聴いた4番が印象的であったこと。そして1楽章の何とも言えない美しい入り方がいつまでも心に沁みついていたからだと思う。
オーケストラバージョンをピアノで弾く時、一人では表現不可能といえるが、二人で手分けすれば何とか響き全体が一つに収まってくれるようだ。
別にオーケストラを再現しようなどとは思わないが、ピアノ音楽とは違った、彼の音楽の大きい表現力と美しさ、それをコンサートホールに行かなくても二人で再現できるという可能性に感激して、何度も素晴らしい瞬間が演奏中に訪れた。
マゲローネのほうは歌もそうだろうけれど、伴奏のピアノがちょっとぐらい弾ける人でもよっぽどさらわないと演奏会には出せないという難しさもあって、なかなか演奏会で聴くことができない。
そんな時ベルリンで10年ほど前に伴奏していたNikolayがMecklenburg Vorpommernのフェスティヴァルで歌うというのを聞きつけ、そのゲネプロと本番を聴くことができた。余りにも私が感激して心を奪われてしまったので、来年の秋にするコンサート、シューベルトの冬の旅をマゲローネにしようと彼に提案され、それこそ天にも昇る心地とはこのことだろう、すっかり舞い上がってしまった。
そこへ持ってきて、大学の同級生だった淡野弓子さんが歌っていたのを思い出し、この度まず半分だけあわせたところ、彼女も涙ぐむほど感激して、一緒にコンサートをしようと提案したのだ。
なんという幸せ、何という偶然、、そして本来は男性歌手が歌うこのチクルスを75歳でデビューしたメッゾソプラノ歌手が歌うというのだ!!
これは話題にならない訳がない。
登録:
コメント (Atom)