Polnisches Theater Kana aus Szczecin spielte Maerchentheater "Lailonia" in Ryogoku/Tokyo, auf Polnisch mit Untertitel auf Japanisch. Ausser einigen Polen war ich fast die einzige,die gelacht hat. Japaner haben das Lachen verloren??
日本人とポーランド人のユーモアとは違うのかしら?
字幕付だから皆読めるはずなのに、まじめな人ばかりなのか、笑ってはいけないかと思っているかのようだった、、、
..Niemand weiß, wo Lailonia liegt. Es ist nur ein Vorwand, um mit ungezwungener Vorstellungskraft, viel Sinn für Humor und einer spöttischen Frage darüber nachzudenken, wer wir eigentlich sind und wohin wir eigentlich gehen... Die Inszenierung von "Lailonia" erscheint als ein Theater im Theater, welches vor unseren Augen stattfindet. Auf einer leeren Bühne Gestalten ganz in schwarz: Doch mit ihrer Mimik, ihren Gesten, mit Hilfe der Garderobe und einfacher Requisiten erschaffen sie eine Inszenierung immer neuer Erzählungen. Ein bisschen Rückkehr zum kindlichen Theaterspiel auf dem Hof, ein bisschen Kabaret. Umso mehr, als dass diese Interpretation durch intelligenten Witz und Selbstironie besticht ... und die Schauspieler durch Frische und Spontaneität. Das Theater Kana spielt "Lailonia" wahrhaft als Ensemble. Und die ganze Zeit hindurch erlauben uns die Schauspieler, nicht zu vergessen, dass wir hier im Theater sind... Und der Zuschauer wird mehr und mehr überzeugt davon, dass - trotzdem es sich hier um unvollkommene Menschen/Schauspieler handelt, die uns hier eine unvollkommene Welt zeigen wollen - diese Welt wunderbar ist und es sich lohnt, auf ihr zu sein...
2011年12月5日月曜日
メシアン 嬰児イエスに注ぐ20のまなざし
だいぶ前に安田正昭の弾くライヴのCDを聴いて、コンサートで聴けるチャンスを待っていたが
2011年12月5日に其の希望がかなえられた。今回が11回目と言うメシアンの嬰児イエスに注ぐ 20の眼差しは、最初の響きからすでにメシアンの世界を自由に歩いて、独自の響きが広がる。はじめの10曲の後休憩を取るまで、危なげのまったくない暗譜の演奏だ。其の日の朝、手の具合が良くなくてと誰かが言っていた。本人はそのために急遽いつもは使わない指使に変えたりで大変だったかもしれないが、彼をよく知っている人以外はほとんど分からない。とにかく精霊、その他のモティーヴを確実に弾き分け、一曲ずつメシアンの表現したかった20の眼差しの世界を次々と展開し、まるで天空の星をプラネタリウムで眺めているようだった。しばし時の流れが止まったような感覚に自分を忘れた、、
帰りのバスを待っていると、コンサートの帰りで、同じ方向に乗っていく年配の女性と一緒になった。
4年ほど前に聴いたときより響きが芳醇になってと感想を言われ、私も本当にとうなずいた。
この半年に何が起こったのかと思わせるような、充実した大きな音楽を聴けた満足感を味わったのである。
2011年12月5日に其の希望がかなえられた。今回が11回目と言うメシアンの嬰児イエスに注ぐ 20の眼差しは、最初の響きからすでにメシアンの世界を自由に歩いて、独自の響きが広がる。はじめの10曲の後休憩を取るまで、危なげのまったくない暗譜の演奏だ。其の日の朝、手の具合が良くなくてと誰かが言っていた。本人はそのために急遽いつもは使わない指使に変えたりで大変だったかもしれないが、彼をよく知っている人以外はほとんど分からない。とにかく精霊、その他のモティーヴを確実に弾き分け、一曲ずつメシアンの表現したかった20の眼差しの世界を次々と展開し、まるで天空の星をプラネタリウムで眺めているようだった。しばし時の流れが止まったような感覚に自分を忘れた、、
帰りのバスを待っていると、コンサートの帰りで、同じ方向に乗っていく年配の女性と一緒になった。
4年ほど前に聴いたときより響きが芳醇になってと感想を言われ、私も本当にとうなずいた。
この半年に何が起こったのかと思わせるような、充実した大きな音楽を聴けた満足感を味わったのである。
リスト レクイエム 2011年11月18日
2011年11月18日東京ハインリッヒ シュッツ合唱団によるレクイエムの夕べが東京カテドラル教会で演奏された。
なくなった方の霊を慰めるという事で沢山の方の生前のお名前がプログラムに乗っていた。
ここの曲目については後で詳しく記載する事にして、後半に演奏された2011年に生誕200年を祝ったフランツ リストの、初めて聴くレクイエムについて感想を述べたい。
リストのピアノ曲はどちらかというと絢爛豪華といった装飾音が沢山ついて、そうでないものもあるにしても、ヴィルテュオーゾでないピアノ弾にきは手に負えないような感じを受ける。私にとって新しい発見は、リストの宗教性については常に疑問を持っていたことが、このレクイエムを聴いているうちに自分の心がもうすでに天国への道を歩いているのに気がついたときだ。彼の神への信仰の深さ、音楽の真実さ、それらがすべてこのレクイエムに現れているのが聴こえた。大きい星を半分に切ったような形をしたぎざぎざが目の前に現れ、しばらくの間消えなかった。一箇所だけあいていて、ここがおまえの入り口だよといっているようで、、、目をこすっても眼鏡をとっても消えないものが、、、リストの宗教曲を聴くチャンスはまれだ。彼がいかに新しい試みとしてのハーモ二ーを扱い、同じハンガリー人のバルトークを思わせるように、ほとんど無調性で声部を扱って、。が、又瞬間のうちに解決の和音となる。男性4声合唱団、男性4人のソリスト、金管4本、ティンパニ、オルガンという編成がこの曲を支え、引き立てる。私にとってリストの歌曲と同様、今年のリストにおけるハイライトといえる。
出演者: テノール1 ツエーガー ファンダステーネ、テノール2 武田正雄、バス1 淡野太郎、バス2小家一彦 オルガン椎名雄一郎 トロンボーン 武田美生/吉川久/小野加奈代/生稲雅威 ティンパニ 鈴木力、指揮 淡野太郎
なくなった方の霊を慰めるという事で沢山の方の生前のお名前がプログラムに乗っていた。
ここの曲目については後で詳しく記載する事にして、後半に演奏された2011年に生誕200年を祝ったフランツ リストの、初めて聴くレクイエムについて感想を述べたい。
リストのピアノ曲はどちらかというと絢爛豪華といった装飾音が沢山ついて、そうでないものもあるにしても、ヴィルテュオーゾでないピアノ弾にきは手に負えないような感じを受ける。私にとって新しい発見は、リストの宗教性については常に疑問を持っていたことが、このレクイエムを聴いているうちに自分の心がもうすでに天国への道を歩いているのに気がついたときだ。彼の神への信仰の深さ、音楽の真実さ、それらがすべてこのレクイエムに現れているのが聴こえた。大きい星を半分に切ったような形をしたぎざぎざが目の前に現れ、しばらくの間消えなかった。一箇所だけあいていて、ここがおまえの入り口だよといっているようで、、、目をこすっても眼鏡をとっても消えないものが、、、リストの宗教曲を聴くチャンスはまれだ。彼がいかに新しい試みとしてのハーモ二ーを扱い、同じハンガリー人のバルトークを思わせるように、ほとんど無調性で声部を扱って、。が、又瞬間のうちに解決の和音となる。男性4声合唱団、男性4人のソリスト、金管4本、ティンパニ、オルガンという編成がこの曲を支え、引き立てる。私にとってリストの歌曲と同様、今年のリストにおけるハイライトといえる。
出演者: テノール1 ツエーガー ファンダステーネ、テノール2 武田正雄、バス1 淡野太郎、バス2小家一彦 オルガン椎名雄一郎 トロンボーン 武田美生/吉川久/小野加奈代/生稲雅威 ティンパニ 鈴木力、指揮 淡野太郎
Liederabend mit Liszt und Mahler
Für mich war der Höhepunkt des Lisztjahres 2011 die Vokalmusik, nämlich am 5.11. 2011 das Konzert mit Peter Schoene(Bariton) und Olga Monakh (Klavier) im Salon Christopfoli.
Programm
Franz Liszt: Die Vatergruft, Der König in Thule, Wer nie sein Brot mit tränen aß,
Über allen Gipfel ist Ruh
Gustav Mahler: Fünf Lieder nach Rückert
Franz Liszt : Tre Sonetti di Petrarca
Gustav Mahler: Lieder eines fahrenden Gesellen
Franz Liszt: Vergiftet sind meine Lieder, Freundvoll und leidvoll, Dir Fischerstochter,
Es muß ein Wunderbares sein
Vor allem beeindruckte mich die 3 Sonette von Petrarca, die ich bis her nur als Klavierversion kannte. Die Stimme des ryrischen Baritons in seiner Liszt-Interpretation hat mich sehr imponiert.
Auch das Requiem am 18. November 2011 in der Kathedrale in Tokyo mit Heinrich Schütz Männerchor, 4 Männersoli. 4 Posaunen, Pauke und Orgel hat mich fast den Weg zum Himmel geöffnet. Ich war glücklich!
Für mich war sein Komponieren in die Zukunft weisend an Bartok vorbei bis Schönberg und zurück, harmonisch umwerfend schön.
Programm
Franz Liszt: Die Vatergruft, Der König in Thule, Wer nie sein Brot mit tränen aß,
Über allen Gipfel ist Ruh
Gustav Mahler: Fünf Lieder nach Rückert
Franz Liszt : Tre Sonetti di Petrarca
Gustav Mahler: Lieder eines fahrenden Gesellen
Franz Liszt: Vergiftet sind meine Lieder, Freundvoll und leidvoll, Dir Fischerstochter,
Es muß ein Wunderbares sein
Vor allem beeindruckte mich die 3 Sonette von Petrarca, die ich bis her nur als Klavierversion kannte. Die Stimme des ryrischen Baritons in seiner Liszt-Interpretation hat mich sehr imponiert.
Auch das Requiem am 18. November 2011 in der Kathedrale in Tokyo mit Heinrich Schütz Männerchor, 4 Männersoli. 4 Posaunen, Pauke und Orgel hat mich fast den Weg zum Himmel geöffnet. Ich war glücklich!
Für mich war sein Komponieren in die Zukunft weisend an Bartok vorbei bis Schönberg und zurück, harmonisch umwerfend schön.
エチュード エルアイ
エチュードばかりのピアノリサイタル。企画、演奏は福間洸太朗 2011年11月16日 朝日ホール。
えるあいをパソコンに入れたら、得る愛、と出てきた。
それはさておき、アルファベットで二文字Li が日本語になると4文字になる。このLi をリーとは読まずエルアイとしたのは、其のほうが響きがいいし謎めいているからだとのことだ。でも,元京都レストランの女将 N.さんとの会話では、彼女は日本語が書いてあればそちらを読むからと言うことで,
どちらにしても日本でする演奏会だから説明を加えなくってもよく、こだわったのは私だけかもしれない。日本人ならそう読むだろうと言う希望的観測の下に付けた題名かと思ったのだがそうではないらしい。チラシの色を見て欲しいと言う依頼が、飛んでも無いほうに話が飛んで議論をかもし出す。
はじめは何かしっくりしなかった題名もやっとなれて、見れば赤い2文字のエルアイ。その他はデザインとして適当に目だっていいと思った。
もう何度も弾いているリストは危なげなく、私としてはより高度の集中を感じたかったかもしれない、、、
休憩後に演奏されたリゲティのエテュード4曲は、今まで聴いたどの時よりも集中度、演奏の完成度が高かったように思えた。虹以外はシーンが良く見えて楽しかった。超難しいのに贅沢な望みであるが、、、
最後のリプヤーノフは時々、聴いた事のある似たようなメロディが顔を出して落ち着かず?それなりの芸術性を求めないほうがいいのかもしれないが、、、、
さてアンコールの3曲、ショパンーリスト、リストのエチュード狩り、そしてシューベルトリストの愛の使いで、それぞれに終わりに行くにしたがって自由な表現が楽しめたが、最後のシューベルトのリートは私の好きな曲のひとつで、なぜかしんみりと不覚にも涙が出はじめ、あわてて上を向いたのであった。
えるあいをパソコンに入れたら、得る愛、と出てきた。
それはさておき、アルファベットで二文字Li が日本語になると4文字になる。このLi をリーとは読まずエルアイとしたのは、其のほうが響きがいいし謎めいているからだとのことだ。でも,元京都レストランの女将 N.さんとの会話では、彼女は日本語が書いてあればそちらを読むからと言うことで,
どちらにしても日本でする演奏会だから説明を加えなくってもよく、こだわったのは私だけかもしれない。日本人ならそう読むだろうと言う希望的観測の下に付けた題名かと思ったのだがそうではないらしい。チラシの色を見て欲しいと言う依頼が、飛んでも無いほうに話が飛んで議論をかもし出す。
はじめは何かしっくりしなかった題名もやっとなれて、見れば赤い2文字のエルアイ。その他はデザインとして適当に目だっていいと思った。
もう何度も弾いているリストは危なげなく、私としてはより高度の集中を感じたかったかもしれない、、、
休憩後に演奏されたリゲティのエテュード4曲は、今まで聴いたどの時よりも集中度、演奏の完成度が高かったように思えた。虹以外はシーンが良く見えて楽しかった。超難しいのに贅沢な望みであるが、、、
最後のリプヤーノフは時々、聴いた事のある似たようなメロディが顔を出して落ち着かず?それなりの芸術性を求めないほうがいいのかもしれないが、、、、
さてアンコールの3曲、ショパンーリスト、リストのエチュード狩り、そしてシューベルトリストの愛の使いで、それぞれに終わりに行くにしたがって自由な表現が楽しめたが、最後のシューベルトのリートは私の好きな曲のひとつで、なぜかしんみりと不覚にも涙が出はじめ、あわてて上を向いたのであった。
10月22,23日ドイツ滞在50周年記念コンサート
あけましてお目でとうございます。皆様、お元気で新年を迎えられた事とベルリンから思いをはせております。 旧年中はお世話になりました。昨年はドイツに1961年に参りまして50年の節目となりましたので、秋にはベルリンのグリニケ城で2日間、2つの違ったプログラムでコンサートを行いました。プログラムは、一日目はドイツに留学して音楽上での勉強で影響を受けた、又歌曲の勉強を通じて得たもの、そして数多く演奏した作曲家の中からシューベルトを選び、2日目はベルリン大学での生徒の指導を通じて、演奏発表の機会に一番反響の多かったサティの作品からあまり演奏されない、聴く事の少ない4曲を選びました。これで本当に演奏活動をやめようと思ったほど、色々準備上の問題がありましたが、思いがけず皆様からの反響が大きく、又来年も自分に出来ることで演奏の機会を持ちたいと思っています。これが最後という覚悟で演奏する事の大事さを経験しました。これからは今までの演奏と音楽指導を通じて得たものを、何らかの形で聴衆と共に音楽の喜びをもてるようなコンサートにしたいと思っております。 今年もどうぞよろしくお願いいたします。
オペラ パレストリーナ
久しぶりでオペラを観にハンブルグに行く。2011年10月2日
フィッツナーのオペラ、パレストリーナは1960年代の中ごろ、ミュンヘンでみたのが最初で最後であった。何も覚えていないが最後にパレストリーナが夕日に向かって恍惚としているシーンが印象的で、其のころは衣装も茶色の僧衣に白い紐を絞めた僧侶の姿であった。エッセンで教えを受けたデットレフ クラウス先生の奥様に初めてお会いして、其の素敵な立ち姿は今でも目の前に浮かんでくる。
さて、シモーネ ヤングと言う女流指揮者、男性と同じ服装では無いのは仕方がないとして、薄手の生地の黒いパンツスーツは結構あでやかで、オペラの内容とは裏腹に何か聴いているうち体の中にsinnlichという逆の現象が現れて、われながらドキっとしてしまった。
歌手の質は揃っていたが手元にプログラムが無いため、後日配役等書き込みたい。
終わって向かいにあるイタリアレストランに駆け込んだら、シモーネ様が何人かの席を探していた。ボーイに無いと言われてあきらめて、ここのオーケストラでヴァイオリンを弾いている友人の小田切美雪さんに、こぼれるばかりの笑を浮かべてにこやかな挨拶をして出て行かれた、、、
フィッツナーのオペラ、パレストリーナは1960年代の中ごろ、ミュンヘンでみたのが最初で最後であった。何も覚えていないが最後にパレストリーナが夕日に向かって恍惚としているシーンが印象的で、其のころは衣装も茶色の僧衣に白い紐を絞めた僧侶の姿であった。エッセンで教えを受けたデットレフ クラウス先生の奥様に初めてお会いして、其の素敵な立ち姿は今でも目の前に浮かんでくる。
さて、シモーネ ヤングと言う女流指揮者、男性と同じ服装では無いのは仕方がないとして、薄手の生地の黒いパンツスーツは結構あでやかで、オペラの内容とは裏腹に何か聴いているうち体の中にsinnlichという逆の現象が現れて、われながらドキっとしてしまった。
歌手の質は揃っていたが手元にプログラムが無いため、後日配役等書き込みたい。
終わって向かいにあるイタリアレストランに駆け込んだら、シモーネ様が何人かの席を探していた。ボーイに無いと言われてあきらめて、ここのオーケストラでヴァイオリンを弾いている友人の小田切美雪さんに、こぼれるばかりの笑を浮かべてにこやかな挨拶をして出て行かれた、、、
2011年9月2日金曜日
ヨーロッパ滞在50年周年記念日とバッハのコンチェルト
1961年8月16日は、生まれて初めてヨーロッパに足を下ろした日である。
8月15日に当時は羽田空港から出発。Air France に乗って、アンカレッジ経由でパリに着いた。
空港には芸高の友達の細野隆興さんが迎えに来てくださった。そのまま、芸高で社会科とフランス語を少し手ほどきしていただいた、吉沢裕子先生をお尋ねした。自作の帽子をかぶり、紺のタイトのワンピースを着ていた私に早速辛口のコメント。日本的ねということで、近くの市場に連れて行かれ履きやすいズック靴を買った。先生はフランス人と結婚されて可愛いPhilippと3人でむつまじく暮らしていられた。早速同じ建物の上に住んでいられるおばあちゃまの所へ連れて行かれ、オルガンを弾かされたように思う。調律が必要といってねと頼まれた。次の日の朝は一人で早く起きてタクシーでオルリー飛行場へ。ギターを弾いているのに聴き惚れていて、気がついたときはミュンヘン行きの飛行機に乗り遅れ、チューリッヒ経由でミュンヘンに着く。当時は携帯というものはなかったので、連絡も出来ず、誰も飛行場にはいなかった。まずは地図を買ってと落ち着いて、さて市内に出ようかと立ち上がると、お世話になるお宅の御主人であり、上智大学でドイツ精神文化史の教鞭をとっていられたゴスマン氏の姿が見えた。私はドイツに行きたい一心で、大学の和声の講義をサボって氏の講義を聴講していたのだった。みんなで手分けして、私の現れそうな場所に待機しているとの事。やれやれ、これが50年前の私だった。一寸ばかり出来たドイツ語を使って怖いもの知らずだった。
8月16日はそんなわけでパリに行こうと思っていたら、その日にユーロクラシックのコンサートでバッハのコンチェルトを弾く福間コウタロウ君が、私がその日に何を仕様と勝手だけど、其のころパリにはヴァカンスで知っている人は誰もいませんよ、との事でベルリンで彼の大ホール出場を聴くことになってしまった。
......... この8月16日にまたヤングユーロクラシックで弾くことになり、今度はコンツェルトハウス大ホールでバッハコンチェルトを弾くのですが、パリにいらっしゃるなら聴いていただけないですね。残念ですが、マスミンの記念日にはご自分の納得行くプランをたてて、達成されるべきだと思います。レイニーさんは、毎年8月前半オーストリアにヴァカンスに行ってらっしゃるので、いらっしゃらないかもしれません。アランさんはご存じの通り、世界中に家族がいるので・・・というのがオリジナルメッセージである。
その後彼はバイロイト、ミュンヘン、アンヌシーと10日間ベルリンを留守にする。まあね。みん何処かに行ってしまったベルリンは、ひがな一日を充実して過ごしましたが、、、
バッハのコンチェルトは、一緒に行ったSami君がとてもフランス的だとのコメント。彼はお母さんがフランス人、お父さんがデンマーク人でドイツ語はぺらぺら。自分の聴いたCDはペライヤで,
なんかこうきっちりしていたけどとの事、面白い発見だと思った。アンコールのシューマン・リストの献呈は彼には合っていたように思えた。
8月15日に当時は羽田空港から出発。Air France に乗って、アンカレッジ経由でパリに着いた。
空港には芸高の友達の細野隆興さんが迎えに来てくださった。そのまま、芸高で社会科とフランス語を少し手ほどきしていただいた、吉沢裕子先生をお尋ねした。自作の帽子をかぶり、紺のタイトのワンピースを着ていた私に早速辛口のコメント。日本的ねということで、近くの市場に連れて行かれ履きやすいズック靴を買った。先生はフランス人と結婚されて可愛いPhilippと3人でむつまじく暮らしていられた。早速同じ建物の上に住んでいられるおばあちゃまの所へ連れて行かれ、オルガンを弾かされたように思う。調律が必要といってねと頼まれた。次の日の朝は一人で早く起きてタクシーでオルリー飛行場へ。ギターを弾いているのに聴き惚れていて、気がついたときはミュンヘン行きの飛行機に乗り遅れ、チューリッヒ経由でミュンヘンに着く。当時は携帯というものはなかったので、連絡も出来ず、誰も飛行場にはいなかった。まずは地図を買ってと落ち着いて、さて市内に出ようかと立ち上がると、お世話になるお宅の御主人であり、上智大学でドイツ精神文化史の教鞭をとっていられたゴスマン氏の姿が見えた。私はドイツに行きたい一心で、大学の和声の講義をサボって氏の講義を聴講していたのだった。みんなで手分けして、私の現れそうな場所に待機しているとの事。やれやれ、これが50年前の私だった。一寸ばかり出来たドイツ語を使って怖いもの知らずだった。
8月16日はそんなわけでパリに行こうと思っていたら、その日にユーロクラシックのコンサートでバッハのコンチェルトを弾く福間コウタロウ君が、私がその日に何を仕様と勝手だけど、其のころパリにはヴァカンスで知っている人は誰もいませんよ、との事でベルリンで彼の大ホール出場を聴くことになってしまった。
......... この8月16日にまたヤングユーロクラシックで弾くことになり、今度はコンツェルトハウス大ホールでバッハコンチェルトを弾くのですが、パリにいらっしゃるなら聴いていただけないですね。残念ですが、マスミンの記念日にはご自分の納得行くプランをたてて、達成されるべきだと思います。レイニーさんは、毎年8月前半オーストリアにヴァカンスに行ってらっしゃるので、いらっしゃらないかもしれません。アランさんはご存じの通り、世界中に家族がいるので・・・というのがオリジナルメッセージである。
その後彼はバイロイト、ミュンヘン、アンヌシーと10日間ベルリンを留守にする。まあね。みん何処かに行ってしまったベルリンは、ひがな一日を充実して過ごしましたが、、、
バッハのコンチェルトは、一緒に行ったSami君がとてもフランス的だとのコメント。彼はお母さんがフランス人、お父さんがデンマーク人でドイツ語はぺらぺら。自分の聴いたCDはペライヤで,
なんかこうきっちりしていたけどとの事、面白い発見だと思った。アンコールのシューマン・リストの献呈は彼には合っていたように思えた。
2011年8月29日月曜日
Klavier Duo Norie Takahashi/Björn Lehmann
8月13,14日はSchloß Glienicke で高橋礼恵さんとビヨルン.レーマン氏による連弾のコンサートが行われた。プログラムはシューマンを基盤において、其の前後の作曲家が演奏された。
ブラームスのシューマンの主題による変奏曲 op.23、メンデルスゾーンの真夏の夜の夢の序曲 op.21、シューベルトの自作のテーマによる変奏曲 D813、シューマンの作曲家自身によるシンフォニー第二番 op.61の連弾ヴァージョンだった。
ドイツクラシック、ロマン派をも得意とする二人の演奏はなかなか味があり見事だった。前半は高橋さんがプりモを受け持ち、今半はパートが交代された。私の感じとしてはブラームス、そしてメンデルスゾーンが、作曲家の言わんとする音楽が伝わってきて快かった。シューマンは連弾でシンフォニーを表現することが、ダイナミックの狭い世界に入り込みやすく、一寸広がりと楽器の持つ音色感にかけていて残念に思った。
ブラームスのシューマンの主題による変奏曲 op.23、メンデルスゾーンの真夏の夜の夢の序曲 op.21、シューベルトの自作のテーマによる変奏曲 D813、シューマンの作曲家自身によるシンフォニー第二番 op.61の連弾ヴァージョンだった。
ドイツクラシック、ロマン派をも得意とする二人の演奏はなかなか味があり見事だった。前半は高橋さんがプりモを受け持ち、今半はパートが交代された。私の感じとしてはブラームス、そしてメンデルスゾーンが、作曲家の言わんとする音楽が伝わってきて快かった。シューマンは連弾でシンフォニーを表現することが、ダイナミックの狭い世界に入り込みやすく、一寸広がりと楽器の持つ音色感にかけていて残念に思った。
2011年6月7日火曜日
第107回ダーレム音楽の夕べ
4月28日はベルリン日独センター主催の東日本大震災義捐金のための第3回目のコンサートが催された。
久々に私も連弾で出演することになり、高橋礼恵さんとシューベルトのファンタジーop.103 f-Mollを演奏した。
礼恵さんとは今年私のドイツ滞在50周年記念のコンサートで、10月のSchloss glienickeで演奏をするので、其の前に一緒のプロジェクトが持てることは好都合であった。
当日は生田文化部長の話があり、大震災の被害は計り知れないが、貧者の一灯をささげることに意味があることを強調された。この時期はあちこちでチャリティコンサートが催され、この日も2-3同目的のコンサートが重なっていた。
いつになくしんみりした雰囲気の中、われわれは休憩のすぐ後にステージに上った。弾いているうちに人前で演奏しているという意識が消えて、音楽だけが流れて行ったように思う。後日、いつも厳しいことを言われるT夫人にあった時、深々とお辞儀をされて素晴らしい演奏を有難うございましたと言われた。
人のために何かするという意識ではないにしても、この日の演奏はいつもと違った次元だと感じた。
久々に私も連弾で出演することになり、高橋礼恵さんとシューベルトのファンタジーop.103 f-Mollを演奏した。
礼恵さんとは今年私のドイツ滞在50周年記念のコンサートで、10月のSchloss glienickeで演奏をするので、其の前に一緒のプロジェクトが持てることは好都合であった。
当日は生田文化部長の話があり、大震災の被害は計り知れないが、貧者の一灯をささげることに意味があることを強調された。この時期はあちこちでチャリティコンサートが催され、この日も2-3同目的のコンサートが重なっていた。
いつになくしんみりした雰囲気の中、われわれは休憩のすぐ後にステージに上った。弾いているうちに人前で演奏しているという意識が消えて、音楽だけが流れて行ったように思う。後日、いつも厳しいことを言われるT夫人にあった時、深々とお辞儀をされて素晴らしい演奏を有難うございましたと言われた。
人のために何かするという意識ではないにしても、この日の演奏はいつもと違った次元だと感じた。
2011年3月18日金曜日
ピアニスト 安田正昭さん
10代のころ知り合った安田君もいまや中堅ピアニストとして演奏に、ピアノ教育に力を注いでいる様子である。7-8年か前に10年以上住んでいたパリを引き上げて、日本に居を構えたということは知っていたが、パリ、コンセルヴァトワールの入試以来コンタクトを取るチャンスがなく20年という時間が過ぎた。
2009年の私の文化会館のリサイタルを聴きに来られたのを機に、その後日本に行くたびに一度は会って積もる話をしたり、演奏会も聴いたりしているうちに一度連弾をしようということになった。私のリサイタルを聴いて何かが気に入ったらしく、それは嬉しいことであった。
パリでのコンクールでメシアン賞を取っただけあって、その打ち込みようは並ではなく初めて聴いた嬰児イエスに注ぐ20のまなざしのライヴCDでは、感動と感激ではっとした瞬間に何度も椅子からころげ落ちそうになった( というのはドイツ的な表現だが、、 )。2月9日のリサイタルはベルリンにいたので聴くことが出来なかったのだが、フラン歌曲を専門とする武田氏のブログに次のような文を見つけた。
、、、、、夕刻文化会館小ホール、安田正昭ピアノリサイタル。モーツァルト、ベートーヴェンの後期のソナタを経てお得意のメシアン、『ペトルーシュカ』、休憩を挟んで『展覧会の絵』。いつもながらの強靱なタッチで、余計なセンチメンタリズムなど一切排した演奏はいっそ見事と言えます。
さて、5月31日には連弾の試みの第一回目として、荻窪かんげい館45人しか入らない、しかし置いてあるプレイエルのピアノは一寸不思議な音色が魅力である。
東北、関東大震災、津波そして電子発電所の多量な放射能のもれた行方を思うと、幾ら飛行機のチケットをもう買ってあるといっても心配がないわけではないが、今までも何とかなってきたことなので成り行きに任せることに内心は覚悟している。
彼のモーツアルトは本当に自然な流れがあり美しい。他の2曲もコンサート前にあわせることになっている。
2009年の私の文化会館のリサイタルを聴きに来られたのを機に、その後日本に行くたびに一度は会って積もる話をしたり、演奏会も聴いたりしているうちに一度連弾をしようということになった。私のリサイタルを聴いて何かが気に入ったらしく、それは嬉しいことであった。
パリでのコンクールでメシアン賞を取っただけあって、その打ち込みようは並ではなく初めて聴いた嬰児イエスに注ぐ20のまなざしのライヴCDでは、感動と感激ではっとした瞬間に何度も椅子からころげ落ちそうになった( というのはドイツ的な表現だが、、 )。2月9日のリサイタルはベルリンにいたので聴くことが出来なかったのだが、フラン歌曲を専門とする武田氏のブログに次のような文を見つけた。
、、、、、夕刻文化会館小ホール、安田正昭ピアノリサイタル。モーツァルト、ベートーヴェンの後期のソナタを経てお得意のメシアン、『ペトルーシュカ』、休憩を挟んで『展覧会の絵』。いつもながらの強靱なタッチで、余計なセンチメンタリズムなど一切排した演奏はいっそ見事と言えます。
さて、5月31日には連弾の試みの第一回目として、荻窪かんげい館45人しか入らない、しかし置いてあるプレイエルのピアノは一寸不思議な音色が魅力である。
東北、関東大震災、津波そして電子発電所の多量な放射能のもれた行方を思うと、幾ら飛行機のチケットをもう買ってあるといっても心配がないわけではないが、今までも何とかなってきたことなので成り行きに任せることに内心は覚悟している。
彼のモーツアルトは本当に自然な流れがあり美しい。他の2曲もコンサート前にあわせることになっている。
2011年2月27日日曜日
2011年 リスト生誕200年 Ⅱ レスリーハワードピアノリサイタル
話が前後したが1月14日は12日との同じくウィグモアホールで、ピアニスト、レスリーハワードのオールリストによるリサイタルがあった。
リスト弾きとして全曲演奏のCDも出ているピアニストである。
当日は世界初演の曲が披露されたり、ロンドンではかなり有名らしく、ホールはどちらかといえば年配の聴衆が目立つ落ち着いた雰囲気で、私も自ずと期待を促された。
演奏曲目は次のとおりであった。
演奏はおおらかな細かい所にこだわらない、といってごまかすこともなく安定した演奏が快かった。
どちらかといえば、譜面を見ながら弾いたオラトリオ、キリストの演奏は集中度が高く私には印象深かった。大きな体と無理のないテクニックで次々と弾きこなす姿は、今までのリスト弾きを聴いた時とは違う新しい発見であったがすべてが楽すぎて、かえって印象に残らないという贅沢な感想が残ったのは否めない。
リスト弾きとして全曲演奏のCDも出ているピアニストである。
当日は世界初演の曲が披露されたり、ロンドンではかなり有名らしく、ホールはどちらかといえば年配の聴衆が目立つ落ち着いた雰囲気で、私も自ずと期待を促された。
演奏曲目は次のとおりであった。
Großes Konzertsolo, S 176
Variationen über das Motif von J.S.Bach "Weinen Klagen", S.180
Sarabande und Chaconne über Themen aus Handels Singspiel Almira, S.181
interval
Zwei Stücke aus dem Oratorium Christus S.498c(first public performance)
1. Einleitung und Pastorale2.
Das WunderRomancero espagnol, S.695c (first public performanc
演奏はおおらかな細かい所にこだわらない、といってごまかすこともなく安定した演奏が快かった。
どちらかといえば、譜面を見ながら弾いたオラトリオ、キリストの演奏は集中度が高く私には印象深かった。大きな体と無理のないテクニックで次々と弾きこなす姿は、今までのリスト弾きを聴いた時とは違う新しい発見であったがすべてが楽すぎて、かえって印象に残らないという贅沢な感想が残ったのは否めない。
2011年2月15日火曜日
2011 リスト生誕200年、
去年はショパン生誕200年であった。
各地で沢山のショパンに関する催し物があり、ワルシャワではピアノコンクールが開催された。そのニュースがまだ皆の記憶に鮮やかなのだが、今年はリスト生誕200年ということで、また新たな催し物が押し寄せてきている。
この1月11日にはロンドンのヴィグモアホールで日本の若手を代表する国際的ピアニスト、福間洸太朗のリスト、ショパン、そしてシューマンというプログラムでリサイタルがあった。
前半はいかにも手馴れた、余裕を見せる演奏で聴衆の関心をそそりながら、後半では彼の本領を示す、リストの超絶技巧以外のエチュード全曲を高度の技術と、余裕を持った音楽性でほとんど一気に疲れも見せず弾きこなした。聴衆のブラヴォーでアンコールに答え、愛の夢の暖かな響きで情緒あふれる夢を会場に満たしたのであった。
一月後の2月12日にはベルリンのコンツエルトホールで日独友好150年の記念コンサートでシューマン、ベートーヴェンといったドイツの作曲家と後半に現代日本人の作品を4曲並べ、その対比を余す所なく聴かせたのであった。
各地で沢山のショパンに関する催し物があり、ワルシャワではピアノコンクールが開催された。そのニュースがまだ皆の記憶に鮮やかなのだが、今年はリスト生誕200年ということで、また新たな催し物が押し寄せてきている。
この1月11日にはロンドンのヴィグモアホールで日本の若手を代表する国際的ピアニスト、福間洸太朗のリスト、ショパン、そしてシューマンというプログラムでリサイタルがあった。
前半はいかにも手馴れた、余裕を見せる演奏で聴衆の関心をそそりながら、後半では彼の本領を示す、リストの超絶技巧以外のエチュード全曲を高度の技術と、余裕を持った音楽性でほとんど一気に疲れも見せず弾きこなした。聴衆のブラヴォーでアンコールに答え、愛の夢の暖かな響きで情緒あふれる夢を会場に満たしたのであった。
一月後の2月12日にはベルリンのコンツエルトホールで日独友好150年の記念コンサートでシューマン、ベートーヴェンといったドイツの作曲家と後半に現代日本人の作品を4曲並べ、その対比を余す所なく聴かせたのであった。
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